このシリーズは不登校について語っていこうと思います。また、隣り合った問題としてのいじめの問題についての言及も増えてくると思います。
なぜ私は不登校の話をするのか
最初にお断りしておきたいのですが、私は医師でもなければ心理学者でもありません。
ただ、学習塾、家庭教師、そして現在のアイアルクで、20年以上子どもたちと関わってきました。その中で、不登校やいじめの相談にも数多く関わってきました。
今回は、不登校をどう考えるかという話の前に、なぜ私がこの問題を考え続けてきたのかを書いてみたいと思います。
高校生の頃、いじめ問題に強い関心を持った
私がいじめ問題に興味を持ったのは高校二年生の頃でした。
当時、進路を考えなければならない時期でした。私は理系に進むことを決めていましたが、家の経済状況を考えると私立の理工系大学へ進学するのはかなり厳しい状況でした。
そんな中で考えたのが教員という進路でした。
当時は教員になると奨学金の返還が免除される制度がありました。理系の勉強も続けられるし、仕事としても現実的な選択肢でした。
私はもともと理科や科学が好きでした。科学の面白さを子どもたちに伝える仕事ができたら楽しそうだなと思っていました。
しかし、もう一つ大きな理由がありました。
当時は今以上に、いじめ問題が社会的な関心を集めていました。
1990年代半ば、テレビでも新聞でもいじめ問題が頻繁に取り上げられていました。今振り返ると少し意外かもしれないですが、週刊少年ジャンプですらいじめ問題を扱った特集や短期連載を組んでいた時代です。

社会全体に、
「いじめは解決しなければならない問題だ」
という熱量がありました。今と比べるとその熱量の差には隔世の感があります。
私は小学校の頃にいじめを受けた経験もありました。結果的には跳ね返すことができましたが、苦しんでいる子どもたちのために何かできないだろうかと思ったのですよね。
今振り返れば若さゆえの傲慢さもあったと思います。
教育学部で見た現実
ところが、教育学部へ入ってみると、私が思っていた世界とは少し違いました。
当時の教育界は、2001年から始まる新しい学習指導要領への対応で大きく揺れていました。いわゆる「ゆとり教育」への対応で、教育学部全体が揺れていたんですよね。
教育学部の先生方も、
「本当にこれでいいのか」
「これから学校はどうなるのか」
そんな議論を繰り返していました。
それでも、いじめ問題を考えるサークルがあったりしてそういうものにはできるだけ参加しました。不登校の親の会にも顔を出し、保護者の方々と一緒に活動する機会もありました。
当事者のなんとかしなきゃ、という思いは今も当時も変わらないと思います。
ただ、教員採用も極めて厳しい時代で、教育現場の混乱は教師をすりつぶしていた時代でした。
先輩たちも臨時採用を何年も続けながら教員を目指していました。
途中で諦めた人もいます。
ようやく教員になったあと、心身を壊して辞めていった人もいます。
そういった先輩たちを見て大学生活を送る中で、私は少しずつ考えるようになりました。
教員になれば、本当に自分のやりたいことができるのだろうか。
いじめ問題に向き合えるのだろうか。
科学の面白さを伝えられるのだろうか。
むしろ自分自身が疲れ果ててしまうのではないか。
その思いは年々強くなっていきました。
36人いた理科教育科の同級生で現役採用されたのはたったの一人。
そんな時代でした。

学校がだめなら自分で作ろう!
最終的に私は学校教員ではなく、民間の教育の道を選びました。
大きな制度を変えることはできないかもしれない。
でも目の前の子どもを大切にすることはできる。
そう考えたからです。
大学院へ進学したのも、将来独立するための準備期間という意味合いもありました。もっとも、学部での研究が面白かったというのもありますが。
大学院の二年間と社会人の二年間。合わせて四年間で独立するために起業の勉強をしたり、資金、人脈、経験を積み、独立の準備をやっていきました。

きょういく工房で出会った子どもたち
その後、私は実家ある南魚沼市で「きょういく工房」という家庭教師事務所を立ち上げました。
家庭教師という仕事は、想像以上に難しい仕事でした。
家庭教師は教室で待っていれば生徒が来る仕事ではありません。
相手の家の玄関を叩いて始まる仕事です。
完全なアウェーです。
だからこそ、自分自身の教育観を持たなければ続けられませんでした。
私は大学や大学院で学んだことと、目の前の子どもたちの姿を結び付けようと必死でした。
今思えば、独立してからの方が大学時代よりもはるかに勉強していたと思います。
心理学も学びました。
さまざまな教材も取り寄せました。
学校やそれ以外の実践も調べましたし、論文や本の作者にメールを書いて交流したこともあります。
そして、その中で多くの不登校の子どもたちと出会いました。
不登校といっても本当に様々でした。
調子が良い日は学校へ行く子。
学校へは行かないけれど家では元気な子。
深刻に悩んでいる子。
本人はそれほど気にしていない子。
同じ「不登校」という言葉では到底説明できないほど、一人ひとり違っていました。
そして私は、その子たちを全員進学につなげてきました。
その経験から見えてきたことがあります。
学校へ戻すことが、必ずしも最善とは限らないということです。
もちろん学校へ戻った方が良いケースもあります。
しかし、いじめで傷ついている子を無理に学校へ戻すことが正解とは思えませんでした。
中学校の三年間は、学校へ行っている子にも、不登校の子にも平等に流れます。
その時間をどう過ごすのか。
そこで何を得るのか。
私はそちらの方が大事なのではないかと思うようになりました。

そして今
その後、縁があってアイアルクで働くようになりました。
現在は子どもたちのものづくり教育に関わっていますが、不登校やいじめの相談については今でもライフワークの一つとして続けています。
保護者の方から相談があれば、できる限り話を聞くようにしています。
こうして振り返ってみると、私は高校生の頃から三十年近く、この問題について考え続けてきたことになります。
そして、その中で少しずつ整理されてきた考えがあります。
それが、次にお見せする不登校の類型です。
私が現場で子どもたちと向き合い続ける中で作った、一つの見立てです。
子どもを分類するためではなく、何が起きているのかを考えるための道具として使っています。



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