読売巨人軍の阿部慎之助監督が、18歳の娘さんへの暴行容疑で現行犯逮捕され、その後釈放されました。報道によれば、娘さんはChatGPTに相談し、その回答をきっかけに児童相談所へ連絡し、そこから警察への通報、逮捕、そして阿部監督の辞任へとつながったとされています。

(参考:【巨人】阿部監督の娘はChatGPT経由で相談「警察が来て一番驚いているのは自分自身」)

(参考:【巨人】阿部慎之助監督、過去に児童相談所や警察相談なし 18歳長女の手紙「けんかは初めて」)

(参考:巨人・阿部監督 通報した長女、児相の対応は予想外「私の意向が聞かれることなく警察に通報される形に」)

これは現在も進行中の事象であり、事実関係についても今後明らかにされていくく部分があると思われます。
そのため、この記事ではこの事件そのものを扱うのではなく、この出来事から見えてくる「AIと子どもの付き合い方」について考察してみたいと思います。

1. はじめに:事件の概要

報道によれば、阿部慎之助監督は、自宅で18歳の娘さんに暴行を加えた疑いで現行犯逮捕され、その後釈放されました。巨人はその後、阿部監督の辞任を発表し、橋上秀樹コーチが監督代行を務めることになったと報じられています。

この件で今回特に注目したのは、娘さんがChatGPTに相談したことです。報道では、娘さんがChatGPTに相談し、そこで児童相談所への相談を示され、児童相談所へ連絡した。その後、児童相談所から警察へ通報され、警察が現場に向かったという流れが伝えられています。

また、謝罪会見では代理人弁護士によって娘さんの手紙が代読されました。その中では、娘さん自身が「警察が来て一番驚いているのは自分自身」という趣旨の説明をし、父親が警察に連行される姿を見て泣き崩れたことも述べられたと報じられています。

暴行の程度がどのようなものだったのか、児童相談所や警察の判断がどうだったのかについては、今後の確認を待つ必要があり、憶測で話すつもりはありません。

ただ、この一連の流れから、AIとの付き合い方について私たちはかなり大きな問題を突きつけられたと思います。

それは、子どもや若者がChatGPTに相談し、そのAIの回答をもとに行動する時代が、すでに来ているということです。

2. 子どもがAIに相談する時代が来ている

子どもや若者は、悩みを抱えたとき、必ずしも親や先生や友達に相談できるわけではありません。

むしろ、本当に重たいことほど、近い人には言いにくいことがあります。家庭のこと、学校のこと、自分の気持ちのこと。言えば大ごとになるかもしれない。相手を傷つけるかもしれない。自分が責められるかもしれない。そう思うと、誰にも話せなくなることがあります。

そういうとき、今の子どもたちの前にはChatGPTがあります。

ChatGPTは、検索エンジンとは少し違います。
単語を入れて情報を探すだけではありません。

「こういうことがあった」
「どうしたらいいかわからない」
「これはおかしいのか」
「誰に相談すればいいのか」

そう書けば、会話として返事が返ってきます。

子どもにとって、これは大きいと思います。相手が人間ではないからこそ話せることもある。怒られない。否定されない。すぐ返事が来る。夜でも使える。何度聞いても嫌な顔をしない。

今回の件は、子どもや若者がAIに相談する時代がすでに始まっていることを、かなりはっきり見せた出来事だったのではないかと思います。

3. アイアルクの現場で見えている、子どもとAIの付き合い方

私は、子ども向けITスクール「アイアルク」の現場で、子どもたちとAIの付き合い方を見る機会があります。

アイアルクでは、上級生の子どもたちに対して、レッスンの中でChatGPTを使うことがあります。特にロボットプログラミングやゲーム制作などで、子どもたちが自発的に「こういうものを作りたい」と言い出したときです。

子どもたちの作りたいものは、ときに講師の知識を超えてきます。

講師も万能ではありません。
すべてのプログラミング言語、すべての電子部品、すべての通信規格、すべての制作方法を知っているわけではありません。

そういうとき、ChatGPTは非常に大きな力になります。

子どもが「こういうものを作りたい」と言う。
講師が一緒に整理する。
ChatGPTに聞いてみる。
返ってきた答えを、子どもと講師で読み解く。
実際に試す。
うまくいかなければ、もう一度聞く。

こういう形で使うことがあります。

その現場を見ていて感じるのは、子どもたちはChatGPTとの会話をかなり楽しんでいるということです。

単なる道具というより、どこか会話できる相手として受け止めている。そこに、ある種の人格のようなものを感じているように見えることがあります。

これは現場での実感です。

4. 子どもにとってChatGPTは、会話できる相手になっている

子どもたちは、ChatGPTを人間そのものだと思っているわけではないと思います。

しかし、会話ができます。
すぐ返事が返ってきます。
自分の質問に合わせて答えてくれます。
何度聞いても付き合ってくれます。

この性質は、子どもにとってかなり大きいものです。

オンラインゲームで、チャットだけでつながっている友達がいる子どもたちもいます。実際には遠方にいて、顔を見たことがない。けれど、チャット上では会話をしている。ゲーム内では一緒に遊んでいる。そういう友達と、それほど変わらない距離感でChatGPTに接しているように、私には見えます。

子どもから見ると、少なくとも、話しかける相手にはなっています。
返事をくれる相手にはなっています。
親しみを感じる相手になり得ます。

大人でも孤独感を感じたときの慰みにAIチャットをやることがあると思います。子どもたちだって変わらないのです。

だからこそ、今回のように、家庭内で起きたことをChatGPTに話すという行動は、私にはそれほど不自然には見えませんでした。

5. 悩みを吐き出す場所としてのAI――可能性と怖さ

子どもや若者がChatGPTに悩みを話すとき、必ずしも「問題を解決したい」と思っているとは限りません。

ただ話を聞いてほしい。
自分の中に抱えきれないことを、どこかに出したい。
何が起きたのか、自分でも整理したい。
誰かに言いたいけれど、人間には言えない。

そういう行為として、ChatGPTに書き込んでいる可能性があります。

「王様の耳はロバの耳」の話があります。誰にも言えないことを、穴に向かって叫ぶ。人間には、そういう行為が必要なときがあります。

昔であれば、それは日記だったかもしれません。
ノートに思ったことを書く。
文章にして気持ちを整理する。
誰にも見せない前提で、自分の中にあるものを外に出す。

私自身も、そういう形で気持ちを発散してきたことがあります。

今の子どもたちにとって、その相手がChatGPTになっているのかもしれません。

これは、単に答えを求める行為ではありません。
自分の中にある苦しさや混乱を、言葉にして外へ出す行為です。
AIとチャットすることが子どもたちのセルフメンタルマネジメントになっている可能性がある。

この行為そのものについて、今の段階で「良い」「悪い」と簡単に断定することはできません。

本当に深刻な虐待や暴力、人権侵害に苦しんでいる子どもがいたとします。その子が誰にも相談できずにいるとき、ChatGPTが公的な相談窓口を示すことで、命が救われることはあり得ます。

(参考:自動相談所虐待対応ダイヤル「189」について)

だから、ChatGPTが児童相談所や警察、その他の公的機関を案内すること自体を否定することはできません。

一方で、怖さもあります。

まだ自我が十分に確立していない子どもが、AIと対話しながら、自分の考え方や感じ方を作っていく。そのプロセスにAIが深く入り込むことには、やはり危うさを感じる人がいても自然なことだと思います。

私はAIを前向きに活用している立場です。
それでも、子どもの自我形成にAIが入ってくることの怖さは感じます。

6. AIを持った子どもは、もう無知な存在ではない

今回の件を見て、別の意味でも認識を改める必要があると感じました。

ChatGPTという相談相手、情報の参照先を手にした子どもたちは、もはや大人から見て「知らないから言いくるめられる存在」ではありません。

もちろん、私自身が子どもを言いくるめようと思っているわけではありません。

けれど、大人がいい加減なことを言えば、子どもはすぐにChatGPTに聞くことができます。実際に、子どもから「先生、それ違うよ」と言われるような場面は、すでに起きています。

これは、子どもと関わるすべての大人にとって大きな変化です。

教師、塾講師、習い事の指導者、保護者、福祉関係者。
子どもと関わる大人は、子どもたちのそばにAIという知的な相談相手がいることを前提にしなければならない時代になっています。

子どもは、ただ教えられるだけの存在ではありません。
大人の言葉を確認する手段を持っています。
大人の説明を、別の角度から検証する手段を持っています。

これは、大人にとっては少し怖いことでもあります。

しかし、本来は悪いことではありません。
大人がより誠実に、より正確に、子どもと向き合う必要が出てきたということです。

7. 児童相談所の役割と、介入がもたらす難しさ

児童相談所についても述べておきたいと思います。

児相が緊急性を優先する理由

今回の児童相談所の対応については、批判も出るかもしれません。

娘さんの手紙によれば、本人の了承なく警察へ通報されたとのことです。結果として、家庭内の出来事が逮捕、報道、辞任という大きな事態につながりました。その結果だけを見れば、「過剰反応ではないか」と感じる人もいるでしょう。

ただ、私はこの点について、簡単に批判する気にはなれません。

虐待や暴力の疑いがある状況で、子ども本人が冷静で正確な判断をできるとは限りません。加害者とされる相手への恐怖、愛情、罪悪感などが絡むこともあります。

もし、児童相談所が警察に通報する前に、子ども本人の承諾を必ず取らなければならないとしたら、本当に危険なケースを救えなくなる可能性があります。

また、家庭内で何が起きているかは、実際に現場へ行ってみなければわかりません。住居の中で安全確認をするには、児童相談所だけでは限界があり、場合によっては警察という公権力が必要になります。

こども家庭庁は、児童相談所虐待対応ダイヤル「189」について、虐待かもしれないと思ったときに児童相談所へ通告・相談できる全国共通の電話番号であり、匿名での通告・相談も可能だと説明しています。

つまり、児相やChatGPTが緊急性を優先して公的窓口へつなぐことには、一定の合理性があります。私自身教育業のキャリアの中で、いじめや不登校の相談を受けてきた経験から見ても、重大かどうかを判断する前に、まず緊急性を優先して動かなければならないケースは少なくなかったからです。

相談できる相手は多いほうがいい。いじめなどでも、悲劇的な結末を迎えたケースの報告書などを読むと、「相談さえしてくれていれば」と思うことは実際に多いのです。

介入がもたらすリスク

一方で、児童相談所の介入が家庭に大きな影響を与えることも事実です。

過去には、虐待の事実がなかったにもかかわらず、医療機関などからの通告をきっかけに、親子が長く引き離されたとされるケースが報道で問題視されたこともありました。

(参考:冤罪なのに…4年も引き裂かれた家族「家族が父の虐待疑わないと子供は戻さない」“人質児相”の実態【大阪発】)

児童相談所の対応には、常に緊急性と重大性のバランスがあります。

緊急性を軽く見れば、救える命を救えない。
重大性を見誤れば、家庭や本人の人生に大きな傷を残す。

しかも、その判断は、情報が完全ではない段階で行わなければなりません。ここに、児相の判断の難しさがあります。

今回のケースでも、娘さんが「ただ話を聞いてほしかっただけ」だったとすれば、その結果はあまりに大きかったと言えます。阿部監督の娘さんが、連行される父親を見て泣き崩れてしまったという言葉は、とても重いものです。

介入後のリカバリーも必要になる

児童相談所や警察の介入は、子どもを守るために必要な場合があります。だからこそ、緊急時に動ける仕組みは維持しなければなりません。

しかし同時に、結果的に重大な暴力ではなかった、あるいは社会的制裁が過剰だったと判断される場合には、その後のリカバリーも必要です。

名誉回復や職場復帰を含め、社会的に回復できる仕組みがなければなりません。この点は、今の日本にはまだ足りていないところだと感じています。

一度報道され、SNSで拡散されると、情報はデジタルタトゥーのように残ります。だからこそ、誤解や過剰反応があった場合に、どう名誉を回復するのか。

子どもを守るための緊急介入と、介入後の回復可能性。
この両方を考えなければ、相談制度はうまく機能しないのではないかと思います。

8. AIを手にした子どもたちと向き合う時代に

今回のケースは、AIを手にした子どもたちが自発的に行動するという時代になっている、ということを強く印象付けました。

すでに子どもたちはAIを使い始めています。
学びのためにも使う。
悩みを吐き出すためにも使う。
大人の言葉を確かめるためにも使う。

この現実を前提にして、大人の側が変わらなければなりません。

子どもを無知な存在として扱うことは、もうできません。
子どもたちのそばには、知識や情報を与えてくれるAIがいます。

だからこそ、大人はより誠実に、より正確に、子どもと向き合う必要があります。

AIを手にした子どもたちに対して、大人の側がどう向き合うのか。
その問いは、もう未来の話ではありません。
すでに目の前に来ている問題です。今日はこの問題提起をして、締めとしたいと思います。

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